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「神秘学概論」宇宙の進化で土星紀、太陽紀、、とかいわれても

「神秘学概論」宇宙の進化で土星紀、太陽紀、、とかいわれても、そこから進めない、シュタイナーは信頼がおけるのだが、ここに至ると、ただ、茫然、、自然科学から人智学を導き出す、といってるけど、ここからは自然科学がぶっとんでる、、ここを突破するには、その周辺、自伝、アーカーシャ年代記、他の著書、神智学などの情報を得なければならない長い旅が必要なんだろう、、、

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「神秘学概論」宇宙の進化と人間p141~の困難

「神秘学概論」宇宙の進化と人間p141~の困難がスゴイ、

世界中で誰か、この内容を理解した人がいるのか?

シュタイナー教育が実現しているけど、この根本部分を理解して教育に活かしているのか

いないだろうな、、

理解困難だもの

図式的には、

・シュタイナーが超感覚意識を取得し

・超感覚意識で、宇宙の進化と人間、をアーカシャからそれを読み取り

・「神秘学概論」でそれを記載している

と、なる、

だから、宇宙の進化と人間、を確認する人は、シュタイナーと同様に、そのプロセスを経なくてはいけない、

おそらく、そんなことできる人、いないだろう、

よって、シュタイナーの、宇宙の進化と人間、はいつまでも、よみもの、としてしか位置づけされないであろう、

 土星紀、太陽紀、月紀、地球紀、とか、命名するけど、もっと違った命名あってもいいのでは、紛らわしすぎで、疑念を増長させるだけの命名も、問題、、、

 

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「神秘学概論」シュタイナー著の難読性

120ページまで読んでます、が、難読性がスゴイ、、
反面、たとえば、パソコンプログラム等の教科書は分かりやすい、易読性がマンタン、
両者の違いは、具体物に囲まれている感覚世界において、説明で使われるコトバ、概念が具体物に近ければ近いほど作者と読者の間のコトバ、概念はほぼ同じレベルを保てる、が、易読性につながる、反面、神秘学となると、説明が具体物から離れまくる、作者のコトバ、概念が読者のそれととてつもなく距離が遠い、が、難読性につながっている、で、「神秘学概論」が正しいかの判断は、シュタイナーのいう修行後の解脱の域に達しないと判断がつかない、今のところは、世界でただ一人、解脱したという本人シュタイナーの説明を、そうかも、そうかな、としかの気持ちでしか受け取れないのかな。

 

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「神秘学概論」シュタイナー著

p59
「エーテル」は高次の直観によってのみ知覚でき、感覚的な観察によっては、その諸作用だけしか認められない。それは肉体内に存在する鉱物素材に一定の生きた形態を与える働きのことなのである。

肉体内に存在する鉱物素材とは、現代物理学の研究対象たる物質のことであろう、その物質から生命が生まれる過程は謎のままである、そういう意味では、現代の科学の状態を表しているし、その解決案も提示している。

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今後の方向

今後の方向

シュターナー思想を核にして、スェーデンボルグ・シルバーバーチ・現代の霊能者の霊視、霊聴、生れ変わりの実証論文、臨死体験、を評価し、現代の他の認識方法、哲学、自然科学を包括できるまでに、シュターナー思想を発展的に拡大していく。

どこまで、できるのか、、、

抽象的な理論を納得、理解していくのは、しんどいです、、、。

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シュタイナー 選集第十巻

シュタイナー 選集第十巻
p86
見霊意識は わたくしたちが 通常の 眠りの中で 無意識のままに 行うように 霊魂を 神体から離脱させます、 そしてその上でこの霊魂の営みをしようと努力します、 私がこれから述べようとするのはそのような認識によって得たものです

心霊科学の著書はいろいろあるが このような 己が己の肉体を 出て 霊魂となり霊魂の 世界を説明する 書籍は他にはない 、スウェーデンボルグも同じような霊界のことを報告しているが、シュタイナーはその体験を 今生きてる世界と 死後の世界にまたがっての論理的な説明をしているところが スウェーデンボルグと異なり、非常に得るところが多い、 他の霊能者の 現在の方々も ただ亡くなったかたとの交信の前ように止まり その奥にある 全体像世界観を描ききるものは いないように思われる

シュタイナーについて学ぶことは、科学・哲学の中でどのように位置づけられるのか、
心身問題にかかわってくる、それは現代の科学・哲学でも決着はついていない、
私は、デカルトの心身二元論の立場をとる、心独自の運動形態があり、死後も独自の運動を行うことも一理ある、

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現生のこころ、死後のこころ、の、認識論

現生のこころ、死後のこころ、の、認識論、
死後のこころ、といっても、特別なものではない、

ヒトがあるものを認識するとは、ヒトがある現象に関心を持ち、その現象の存在の正しさを観察し、その背後にある法則を見出し、その法則を使い類似の現象を説明する、という一連の行いのことを意味し、正当な行為であり、科学的認識行為と称される。---(A)
ヒトは社会的歴史的存在である故、上記の一連の行為は、社会的歴史的要因に影響下において為される。
ヒトは社会的歴史的要因を背負いながら、認識するのである。
天体の運動も、量子力学での素粒子も、現生のこころも、死後のこころも、分け隔てなく、関心がもたれるある現象なのである。上記(A)を満たす行いは科学的認識行為である。科学的認識行為によって生じる結果、法則の是非は、科学的認識行為により反論を述べることができるか、に依る。
現象から、死後のこころ、を除く態度は、科学的認識行為を逸脱するものである。
以降、死後のこころ、の、現象の存在の正しさを観察し、その背後にある法則を見出し、その法則を使い類似の現象を説明する、という一連の行いを進めていきます。

現生のこころ、に対する議論は、様々行われている、そして、結論らしきものは無い、百花繚乱状態である、
心身一元論、二元論、唯心論、唯物論、現象学、、、
私は、デカルトの二元論の立場をとる。
こころには、物質と違い、こころ独自の運動形態がある、それが、死後においても、継続してある運動形態を保持しても理論的には何のおかしなことはないであろう、

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「心的現象論」吉本隆明


p20
外界から 疎外された幻想と 身体から疎外された幻想とは 錯 合 しすれ違い割れ目を与えるのである

外界から から疎外された 幻想 とはいったい何なのか 用語が難しい 個人の幻想は外界を もとにmして生まれてくるもの 進退を元にして生まれてくるもの 二つがあるということを言っているのか

p23
生命体は アメーバから 人間に至るまで ただ生命体であるという理由で 原生的疎外の 領域 を持っており したがってこの疎外の打ち消しとして存在している

本当に意味が分からない

もう少し、分かる表現ができないものか、いまのところ、手におえない、、、

 

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「MIND」p216~最後  ジョン・R・サール

p216
もちろん信念欲求 それに思考過程と言った 洗練された 志向性は 知覚や飢えや乾きの感覚に比べてより複雑だし 環境からの影響による 脳の直接的な刺激からは 隔たったものだ、 だがそれらはまさに 脳過程より引き起こされ 脳のシステム内において現実化するのである

思弁的に何を語ろうと個人の自由ではあるが なぜその語るに 至った の過程を、 理由を述べなくては誰もが納得はできない 、著者はその真摯な作業を一切行なっていないように思える

p378
第一に この説明は 心的現象を 自然の一部としてのみ扱う 、意識や 指向性は 光合成夜 消化のような 自然世界の 一部として 考えられるべきである 、第二に心的現象を 因果的に 説明するために 用いられ る 説明装置は 自然を 全体として 説明するために必要な装置と同一である 、心的現象の 説明が試みられるレベルは 素粒子物理学の レベルというよりは 生物学のレベルである、 なぜなら 意識やその他の 心的現象は 生物学的な現象だからだ 、意識やその他の心的現象は 生物学的な 過程から 生み出される ある種の生物の器官に固有のものである

著者の結論として 述べている部分ではあるが 肝心要の 心と 物理的過程等を結ぶ 精緻な 説明は本書を通して 一切なされていないように思う 、例えば 脳内の ある化学的物質 がこのような 変化を起こす時に 心が備えている 化学物質を 感じ取れる部位があり その結合点に より 心に ある種の変化をもたらす 、また逆もそのように言える、 などの 客観的な証拠を 一切示さず ただ自分の信念・ 思弁 ・言いたいことだけを 言っている気がする、 それでは 何も言っていないことと同じであろう 、しばらく時間をかけて読んでみたが 本書は 著者の 無能力をひけらかすだけのものにしかないように感じた、 逆にそれは読みきれていない私の無能力の証拠かもしれないが 、私にとり得るものはほとんどなかったに等しい、 書籍を選ぶ場合にはどっぷり浸かる前に前後左右 チェックしながら 本当にこの書籍は時間を費やすのに 価値があるかどうかの判断をしてから取り掛かるべきであるということを痛感した

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「MIND」p175~ ジョン・R・サール

p175
1 二元論が主張する二つの領域 神的なものと 物理的なもの の 関係を 知的に 理解できるように説明しようせた人が 誰一人いないこと
2その過程が不要であること 一人称的な事実と 三人称的な事実は全て 分離した 二つの領域を 家庭しなくても 説明できる
3その過程は法外な困難を生み出すこと 二元論の立場をとると 心的状態と 心的な出来事が どのようにして 物理的状態と 物理的な出来事の 原因になるのかを 説明できなくなる 要するに 随伴現象修行 避けられない

もし私が身体が 滅びた時には 身体から 魂が 抜けれていくだろうと 考えたとしても それは論理的に可能なのだ 、だがそれは 宇宙はどのように 動いているかということについて わたくしたちが知っている 全ての事と相いれない

説明できた人が誰もいない、とか 困難を生み出すこと。、などの理由で 二元論を否定するのは どういう 意味なのか、そんなことで否定する根拠になるのか、 本当にこの人は哲学をしてるのか、自分でものを考えてるのか 、恥ずかしくないのか 、宇宙はどのように動いてるかなとは一体どこまで分かってるのだ、ほぼ分からないことが ほとんどではないのか 、それをもってして 相容れないなどよく言えたものだ

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